加藤周一  私どものアピールはお手元にあると思いますが、その趣旨を簡単に申し上げます。
 2つありまして、まず第1点は、私たちは憲法一般の問題を議論するのでなくて、日本国憲法の改定、ことに9条の改定にわれわれの関心は集中していて、そのために作った会であり、そのために作ったアピールです。第2点は、9条の問題に関してわれわれは危機感があり、黙って見ていることができないということがあります。そしてわれわれにできることとは何かと言えば、9条を護ろうという人たちの運動がいろいろとあり、小さな会もあれば大きな会もあるのですが、その人たちの横の運動がほとんどないのですね。たとえばどれぐらいの団体があってどれぐらいの人たちが活動をしているのか、推定どれぐらいの数なのかということもわからないのですね。そういう意味で、お互いの横の連絡、ネットワークを作りたい。そのためにできることをしたいというのが趣旨です。
 さまざまな運動を統一することを目指しているのでは全くありません。従って全国的な組織を作ろうということなどは全く考えていません。相互連絡の手伝いというか、有効な連絡ができるようにするために、われわれにできることをしたいというのが趣旨です。それでは今日来ていただいた呼びかけ人の方々にご意見をお伺いしたいと思います。

鶴見俊輔  憲法改悪をとめるという問題は、いまこの日本でということですが、長く遡って捉えないとしっかり取り組むことはできないと思います。それは社会にとって、個人にとってもそうだと思います。憲法9条を日本国の外交方針の支えとして生きていくということなんですが、その心構えは明治以前からの日本人の知恵を私たちの心の中に掘り起こしていかなければできないと私は思います。日本語はヨーロッパのイギリス語やフランス語を凌ぐ長い歴史を持っているんです。中国の隣にいるから短く感じるだけで、文学と原語はものすごく長いんですよ。「防人の歌」とかいろんなものがあるでしょ。「万葉集」や「古事記」など。そこからつながっていて日本語そのものを掘り起こさないといけないので、別に近代ヨーロッパの言葉を引っ張ってきて翻訳したら我々の支えになるかといえば、ならないです。ならないことはこの150年の証明なんです。個人の歴史としても生まれたときからの問題です。生まれたときに日本語を教えてくれたのは女なんです。女の協力なくしては(9条を護ることは)できないですよ。今日は残念ながら男だけですが。私は、女と女に協力する男にしか期待していませんが、そういうふうに運動が変わっていくことを望みたいですね。そこから原語や原語の前の身振りも出てくるのですから。そこから出発しなければ、戦争を止めようという考えは出てきませんよ。ですから、女と女に引っ張られる男に期待するというのが私の信条で、日本の歴史、社会としてもものすごく昔に戻らなければ、明治以前に戻らないとだめですね。で、男ではなくて、自分が生まれたときに戻らないと、本格的に戦争を止めようという意思は作れないと思っています。

奥平康弘  憲法研究者の一人として会に加わることにしました。この会のターゲットは9条一本に絞って、改定に対する反対の声をあげていこうというものです。このところ「憲法改正問題」という言葉、あるいは言い方がまかり通っているうちに、だんだん9条以外のところに問題が拡散されてきて、9条改定という争点がぼやけてきています。それは改定を実行しようとする人たちのさまざまな思惑の結果としてそうなってきている。そしてその後、たとえば具体的な日程として憲法改定に関する立案、つまりそういうテキストを作り、国民投票にかけるというようなにらみ合わせをするときに、9条以外をどんな形にするのかという議論がすでに出かかっているわけです。そういうなかで向こう(改憲派)が仕掛けてきた争点の作り方の結果として、9条が争点だということがぼやけてきたということ、このことが持っている危険な意味、つまり憲法の改訂全体に関わる一環として9条も曖昧にしだした。そのことによって出てくる問題、そのことによって与える影響というのが問題だと思っているのです。
 したがって、「敵は9条にあり」ということに焦点を合わせながらも、しかしながら向こう方はそれをぼやかすような、ぼやかし方が持っているさまざまな問題も指摘して、さらに9条が争点だということを浮かび上がらせていくことが必要だと思います。
 そして9条が争点だということを浮かび上がらせるなかで、これまで体制を批判しながら日本政府を見据えてきた人たちは、9条について、どちらかというと消極的な形で「憲法を護れ、護れ」と言ってきた。それは向こう方(改憲派)が自衛隊を作り、自衛隊をさまざまな格好で働かせてきたという動きがまずあり、そういう動きとの関係で「それはおかしいぞ」と言い続けてきた。その結果、ある種の消極的な側面というのがあった。向こうの出方に合わせて、それは違憲だと言い続けるポジションをとらされ続けてきたという気がします。
 ですから、「9条も含めた全体としての改正です」という向こう側のポジションを見た場合、憲法9条を積極的に押し出していく、9条が持っている、9条が生きていくための平和的環境といいましょうか、平和主義が平和主義として国内だけでなく世界に向けて、平和主義を積極的に利用する、従ってそれはまた外交政策にも経済政策にも現れるような形で9条の問題を、単に国内の消極的な問題としてではなくて、国際的な環境から見てポジティブに引き出していく、そのポジティブに引き出していくことが、日本国憲法の中で9条が占めていた要素というものを、いまこの段階で活かすことになるのではないかと思うのです。そういう意味で、僕としてはこの会の一員として微力を尽くしたいと思っています。

小田実  この会に私が加わったのは、実はこういうきっかけがあります。4月30日に西宮で改憲反対集会―土井たか子さんとの対談集会に出たんです。そのときの題名が「今でも旬の憲法」でした。私は大変違和感を持ちました。「今こそ旬の憲法」だと。いま全世界で、武力を使ったらだめだということがはっきりしてきたんです。そうすると憲法が持っている平和主義、その理念は9条だけど、それが正しいことが証明されてきているわけです。だから今までが旬でなく「今こそ旬」なんですよ。平和主義という語源が平和憲法です。戦争が終わったときに国連が世界人権宣言を出しましたが、本当は世界平和宣言を出すべきだったんですが、そりゃ出せないですよね。だってみんな平和主義じゃないからです。
 日本国憲法というのは言ってみれば世界平和宣言なんですよ。日本国憲法に世界平和宣言としての価値が今出てきたんです。それを大いに使うべきなんです。たとえばイスラエルとパレスチナの戦争を停戦させるために「東京合意」というようなものを作るとか、いろんなことができると思うんです。そういうことを何もしないで、ただ「護憲、護憲」と言っていてもダメなんです。だからそういう意味で「今こそ旬」だと思うということをこの間の集会で話したらみんなびっくりしてましたけど、元気になりましたね。岡山であった別の集会でもこの話をしたら、みんな元気が出てきた。やはり「今こそ旬」なんだと認識を改めて、今こそ日本がこの憲法を使わないと世界がダメになりますよ。
 日本は大国なんだから使う力を持っています。こういうときに使わないと一国だけで終ってしまいます。全世界的な価値を憲法が持っているのに、集会に行くと「今でも旬」と言っているのは情けない話ですね。私はいろんな集会に行きますけど、みんなどうしていいか分からないんですよ。「護憲、護憲」と言っても、どうなるか分からないと。だからこの9人で、憲法にどんな価値があるのかという基本原理をもういっぺんはっきり言うことが必要だと思って私は参加したんです。私は地方に住んでいるから分かるのですが、「地方の時代が来た」なんて言ってますけど、そんなの嘘八百ですよ。ジャーナリズムにしても東京中心だし。結局、みんな東京を見ていますよ。そしたら私たちはこの(地方の)価値をちゃんと認めて、ちゃんと発言する。そうするとそれが土台になって地方が息づくんですよ。そういうことで、この会で講演会をするなりしてアピールすることで、憲法の基本的原理がここにあるんだということを言わないといけない。地方の集会などではどこかの大学の先生を呼んで憲法の話をしたりするのですが、何を言っているのか分からないですよ。その先生自体が憲法が何だか分かっていないから。そうすると憲法の基本原理を、憲法学者としてでなく一市民として何が必要なのかということをこの9人ではっきりとすることができたらと思って私は参加しています。

大江健三郎  自分が10歳のころに戦争が終り、12歳のときに憲法が施行されて教育基本法が出来あがりました。12歳のとき(1947年)から現在まで自分がどのように生きてきたかということをノートにとりながら考えてみますと、憲法が常に基本だったと、私は考えるわけですよ。私にとっての憲法とは、子どもの自分が把握して、そのあとずっと常々思い出すことがあったわけです。
 たとえば、イラク戦争が始まれば憲法について考えますし、自分に障害を持った子どもができれば憲法のことを思ったり教育基本法のことを考えます。そういうことで一生をやってきたと考えております。そういうことを自分でメモをとってまとめています。矛盾なども感じながらも憲法と一緒に生きてきた自分というものを表現してみようと思っています。それは小説に反映させたりしますけども、講演会などに呼んでいただければ「自分は憲法についてこのように考えている」ということをお話したいと思っていました。そのときにこの呼びかけ人にならないかと言われまして、講演会などで話すことは私にもできると思い、喜んで加わらせていただいたんです。
 喜んだ理由というのは、1人で憲法について突き詰めて考えるというのは『世界の中心で愛を叫ぶ』ではないですけど、あまり説得力がないと思うんですよ。ここに集まった方たちと話すと、自分の考えている憲法に対する考え方というものが明かに広がっていくという感じがします。自分の考えを広げてもらっていることとしてこの運動をしたいと思っています。憲法を護る数多くの運動が集まってくる、大きなネットワークにしたい。南方熊楠の「萃点」という言葉があります。いろんな考え方や動きが、まとまってある点になるという。憲法9条を護るというさまざまな人々のタイプの声が動いていく間に、重なっていくある場所(別に特権的なものではない)、そういう「萃点」の一つに、この会がそういうものとして皆さんが使ってもらえたらどんなにいいだろうかというのが1つの希望であります。それから小説家として、日本のこの10年間の政治を見ていますと、言葉にしないという基本方針が政府にあって、それによって「実績」を収めていると思うんですよ。たとえば、小泉さんが話すというのは、言葉として話さないということ。しかも、実際の政治の動きとして小泉首相が勝利を収めるということが、議会や外交において見られてきたと思います。憲法9条を変えようという動きのなかで、いまイラクで多国籍軍(多国籍軍自体の定義が曖昧ですが)に自衛隊を参加させるということは、言葉としては何も言ってないのに実績としては、イラクに日本の軍隊を置いておくということになっている。これは憲法9条をひっくり返すための実績が1つ積まれたことになります。
 その点で、私は今こそ憲法9条のことを考えないといけないと思うわけです。この前、ある放送局で中曽根元首相とお話しすることがありました。僕はお話しをしたつもりですが、向こうは僕とお話ししていないと思いますが(笑)。そのときに最後に彼が「教育基本法を変えないといけないと思う」「日本人の教育であるから伝統というものを大切にしないといけない」と言ったんですね。ところが伝統というのは何を指すのか分からない。たとえば僕の人生の中での伝統というと、今の憲法というのが私の中の伝統となっていますが、中曽根さんは戦前・戦中の日本にファシズムが台頭していく過程のことを伝統を作り出した時代と言いたいのか、あるいは明治時代なのか、明治以前なのか、伝統についてはっきりと提示しないで、教育基本法の中心に伝統を据えるとすれば、新しい教育基本法が出来あがるとすれば、現代の憲法に対する否定として「実績」として積まれると思います。
 私は教育基本法をだいたいそらで言えますが、本当にいい文章なんです、内容があります。悲惨な戦争をしてアジアに悲惨を撒き散らして、世界的にも断絶して、日本国内にも大きな損害をもたらした。こういう段階で、大人が子どもたちに「私たちはこういう教育をしようとしているんです」と子どもに本気で訴えかけている言葉です、教育基本法の文体は。法律の中でこういういい言葉を使っている法律を私はあまり知りません。これは憲法の前文と9条にもつながっています。憲法全体の非常に優れたエッセンスを取り出して、しかも分かりやすい言葉でみんなに伝えようとしている。伝えようとする自分たちは、戦争に責任のあった人間として、日本を再建する人間として、それに携わる人間として、父親として教師として、「われわれは、こうしようとしてるんだ」と呼びかけているんです。世界に向かって開いていく教育というものが基本的な構想です。たとえば、われわれが平和と真理を目指す教育をするとか、個性というものを表現しながらしかも普遍的であるものを文化として作りたいと言っているのは、日本人が世界に向かって開こうとしているわけです。その勢い、その方向づけが教育基本法の一番いいところで、そして憲法につながるところだと思います。今日の新聞にも自民党の教育基本法作り変えの構想が出てましたが、「愛国心」という言葉を入れるとなっている。それは世界に開くというよりは、世界から日本に閉じこもるという考え方だということは説明する必要はありませんが、伝統という言葉もそうです。中曽根さんや自民党の人たちが言う伝統という言葉も日本の国内に閉じこもる方向にあるものです。
 ところが一般民衆としては、市民としては、例えばイラクの人質事件がありましたが、18歳の青年と30代の女性が、日本の一人の市民として、日本というものや時を越えて、向こうの個人と結びつくということで、それは教育基本法が言うのと同じように個人の働きにおいて世界の普遍というものにつながっていくということです。こういう個人の態度が60年間のなかで新しく出来あがった伝統なのではないかと思います。自分としては教育基本法を焦点にして、個人から普遍に向かっていく、国内から世界に開いていく教育、そういう日本人の生き方というものを、言葉ではっきり表現しながらやっていくという方向にしたいと思います。そういう考えで私はこの会に参加しています。

小森陽一  それでは、皆様からの質問をお受けします。

記者  質問は3つあります。まず、奥平先生が「焦点が9条」と言いましたが、自民党案や『読売』の改憲試案などを見ますと「新しい人権」とか「家族の価値の復権」とかいろんなものをセットにして出していますが、それは9条問題を隠す「煙幕」なのでしょうか。2つ目は、この会が出来た経緯についてです。小森さんが危機感を持って、今日集まった識者の方に声をかけたのかどうかなど会の出来上がる経緯を教えていただきたい。というのは、危機感によって会が出来たというのであれば、戦後50年の段階で『読売』が改憲試案を出すなど数年前から改憲に向けた動きがあるのだから、もっと早く危機感を持ってもよかったのではないか、ということです。それから3つ目は、講演会をやる以外の他の行動を考えているのであれば教えてほしい。

奥平康広  そもそも最初に憲法改正問題が出たときには非常にはっきりと端的に9条の問題として出てきたが、憲法調査会がある程度のイニシアティブを持つということも関係あったのでしょうが、徐々に9条ではなく憲法改正一般の話になってしまった。これをどう分析するかは、僕は政治の専門家でないので分かりませんが、向こうの出方としては今ご指摘のあったように、結果的には9条の争点をぼかすことになり、そして今後、国民投票になった場合に9条だけを裸で出すか、それともその他も含めて投票してくださいと出すのか分かりません。そのときにこちら側がどういう答えを形式的に出すのか、「これはいいけど、あれはダメだ」という選択ができるのかできないのか、いろんな可能性があって、たぶん向こう側も、憲法改正草案を国民投票にかける場合のスタイルの問題について悩むこともあるのかと思う。そうすると、9条だけに絞って国民投票が行われる可能性もある。また「修正ではなくて新しいものを入れるのですよ」という「加憲」という方法でくるかもしれない。どのような形で国民投票にかけられるのかは現在僕も分からないですし、向こう側もこれからの国民の反応次第でスタイルを決めてくるのだと思います。ここでやはり機軸になるのは何と言っても9条であり、9条を押し進めることでさまざまな波及効果があるのだと思います。9条が改正となった場合、政治の再編、文化や教育の改変ということが一体となって現れてくるのだろうと思う。向こう側の、特に今世紀になってからの憲法改正に関する争点の出し方というのは結局、9条を改正しようとする意図の本質を表しているのではないかと思います。

小森陽一  2つ目の質問の会が出来た経緯は、加藤さんからのメッセージを私が大江さんにお伝えし、お2人の間で今日配ったアピールの文章が出来あがり、今日名前を連ねていただいた方にお願いをしたということです。今年春ぐらいからのことです。3つ目の質問のなぜ今ごろなのかということですが…。

加藤周一  アピールの中にも書いてありますが、現在、憲法改定への動きが強くなっていることに反対なんですね。だから護ろうということで、それが趣旨です。経緯ということで言えば、それは日本戦後史ですよ。戦争が終わってすぐに憲法ができて、9条というのは国際紛争を解決する手段としての武力の放棄が第9条ですよね。それに対して戦後60年の日本の政治史および社会史がどう反応してきたかというと、いわゆる解釈改憲というふうに動いてきたわけです。最初は警察予備隊、そして自衛隊になった。自衛隊を合法化するための解釈は、「9条が禁止する武力には自衛のための武力は含まない」という有名な議論があるわけですが、そういうことを続けてきたわけですね。そういうことが続いてきて、ある段階まできたとき、非常に手のこんだ解釈をすることによって自衛隊が合法的となったわけでしょ。そしてそれがしばらく続いてから、最近になってから、防衛の新ガイドラインができ、有事法制、イラク特別措置法など色々な法律がだんだんできてきて、9条が禁じている国際紛争を解決するための武力行使が、可能になる方向でだんだん法律が整備されてきたわけですよ。それが戦後60年史ということになるのではないですか。それだけではなくて、行動による事実の積み重ねがあるわけですよね。法的整備をするのと同時に、軍隊を実際に派遣するということも行なうでしょ。だんだんにそれも拡大されてきます。始めは国連の平和維持ミッションに自衛隊を派遣したり、その後は平和維持ではなくて現に戦争中のところに「人道的な目的だ」ということで自衛隊を送るという。憲法9条の解釈改憲が行なわれてきたこと自体は、いかに武力を紛争解決に使うことに対する制限を緩くしてきたかということです。だから制限は働いていたわけです。憲法9条がなかったらあんなに苦労して「9条解釈によれば、自衛のための軍隊は9条が放棄している武力ではない」などという手のこんだ議論をする必要はなかった。こういう手のこんだゴマカシをすること自体が、軍隊を派遣したい側からすれば、いかに9条が面倒な制約であったかということの証明じゃないですか。だから、事実を積み重ねすることと新しい法律を作って、だんだんに自衛隊の活動を拡大していくということを行なう側からすれば、9条というのは非常にうるさい制約だったことを意味していると思うのです。私たちのように始めから9条に賛成の立場から言えば、条文を変えてしまえばもっと自由になってしまうと思い反対するのは当然なんですよ。解釈改憲が限界にきたからこの辺で条文を変えるということは、今よりももっと(武力行使の段階が)先に行くということですよ。だからそれに反対する私たちの側から言えば、この時期に反対という立場をはっきりするしかしようがないわけですよ。要するに憲法改定に反対するという、これがこの会ができた経緯です。要するに「解釈改憲」と「なし崩し軍国化」に対する反対が、一方では憲法改定の要求になり、もう一方では改定反対の要求になる。後者の反対の立場の会が、この会です。
 だから経緯は日本の戦後史そのものなんです。だからわれわれにとっては、昨日思いついたことじゃない。ここにいる人たちにとっては、戦後ずっと考えていたことですよ。目をつぶっていたわけじゃない。何が日本国に起こっているのかといえば、それは「なし崩し改憲」でしょ。そして条文をいよいよ変えようということにまで及んできたときに、こちら側もできるだけの抵抗をしたいということですよね。これが経緯です。第2次大戦のときもそうでしたが、日本国内の常識と国外の常識が違うことがよくあるんですね。それが1930年代に非常に大きくなり、そして最後に太平洋戦争に突っ込むわけですが、今度の場合も日本国内の常識と外国の常識が違うんですよ。外国というのはアラブも中国も朝鮮半島も含む、アメリカでさえもそうです。だいたい私の今言ったことは天下の常識です。もしこれを疑う人があるのなら、一歩でも外に出て外国の人に聞いてみてください。日本のことを知っている人であれば、だいたい私が言ったことと同じことを言います。これが現状ですよ。事実を直視して、それに対する現実的な対応をしましょうというのがアピールの中心的問題です。

小田実  付け加えればね、「今まで危機が来ているのになぜ今ごろなのか」という質問でしたが、それほど危機が今来たんだよ、逆にいうと。私たちはつるんでいるわけではなくて、それぞれ個々に書いたりしゃべったりしているわけですね。みんなやっていますよ。でもそれだけじゃ足りないと思って呼びかけに応じたわけ。それほど危機が来ているということを申し上げたい。

記者  9条とは少し離れるが、教育基本法に関連した質問です。東京都で行なわれている国旗・国歌に関する締め付けについてどう思うか?

大江健三郎  教育基本法には「国旗を尊敬しろ」「国歌を歌え」ということは書いていません。いまこの法を改定しようとしている人たちが目指していることの一つは「日本の伝統をはっきりさせろ」ということがあります。あの伝統というのは、国旗・国歌問題に関する基本的な出発点になると考えています。すでに、日本人が国旗を尊敬すること、国歌を歌うことは日本の伝統を考える態度だと考える政治家、評論家、教師が現にいるわけです。新しく教育基本法というものがつくりあげられてしまえば、国旗・国歌に対する子どもたちの態度に関してはっきりと枠を作ってしまうことになります。枠を作ることが法律のうえで正式に認められてしまうことになるだろうと思います。アメリカは国旗や国歌を大切にしているではないかという考え方は間違いだと思います。アメリカでは、子どもたちが国旗を尊敬しない、国歌を歌わないという自由が確立されていると、自分の経験からは考えます。国旗・国歌というものが戦争のときの状態に戻ってしまう、しかも教育基本法にはっきりと示されてしまうということは大きな問題だと思います。たとえば石原慎太郎氏は、国旗・国歌に反対する教員をなぜ処分するのかということを、はっきりと自分の口から言っていないし、言えないですよ。曖昧な物言いになっています。しかし、教育基本法が改定されてしまえば、石原氏は「教育基本法に根ざして」とはっきり言えるわけです。国旗・国歌に対して自由な態度をとることが現実的に不可能になると思います。そういう点から考えましても、今の教育基本法がどれだけのことを言っているのか、それが現在考えて否定すべき理由、根拠が全くないということであり、教育基本法の改定には反対です。このことが憲法9条を護ろうという考え方と直接つながっています。教育基本法というのは、60年前に憲法を作って出発し直そうとした日本人の魂と言っていいほど、よく表現されたものだということをもう一度言っておきたいと思います。

記者  論憲、創憲、最近では加憲などという言葉で、改定に向けて語られていることについてどう思うか?それからもうひとつ。大江さんがこういう会に参加されるのは非常に久しぶりだと思いますが、この辺のお気持ちをお聞かせください。

鶴見俊輔  論憲、加憲とかの自由はもちろんあるべきだと思います。細かいことを言えば、私もそういう意見を持っています。憲法起草委員会の一番若い人だったベアテ・シロタ・ゴードンさんは、「全ての人間として生まれた者は同じ権利を持っている」という条文を書いたんです。ちょっとこれは通りにくいということで、現在の憲法の中には入っていないんです。私はこれは大変重要だと思います。シロタは日本で暮らしていたので、日本の女性がどのように差別されていたのか、朝鮮人が差別されているのかを知っていたのです。彼女自身がユダヤ人で、2000年の差別を自分の中に持っていますから、ちゃんと言えたんです。嫡出子と私生児の区別があまりではないかということも入っていますし、在日朝鮮人に関しても、この憲法を作っているときにワシントンから何も指令がなかったんですよ。なぜかといえば、ワシントンの占領担当の人は日本にこれだけたくさんの朝鮮人がいることを知らなかったんです。だから日本の政府は、朝鮮人に対する扱いを戦前、戦中と同じにしたんです。戦前と同じように殴ったり、差別的なことを言ってもいいという、そういう習慣によって日本の官僚は動いたんです。シロタの出した案は、在日朝鮮人の権利を論理的に擁護するもので、これが条文として憲法に入っていれば、戦後の在日朝鮮人への差別はなくなったと思います。こういうことを含めると私は論憲、加憲の立場ですが、しかしだから全体を改定すればいいじゃないかという立場には立ちません。争点は9条を護るか護らないかというところに焦点をおきますと、私は9条を護ったほうがいいという考え方に立っています。

大江健三郎  私は22、3歳で小説を書き始めたころから「自分は戦後民主主義者である」ということを書いてきました。そして憲法というものが、大げさに言えば自分の世界に対する態度ということ、自分のモラルというものの考え方の支えというか、外してはいけない土台として憲法があると考えてきました。これは今まで私が書いてきたものを読んでいただければ、そんなに私が矛盾していないということが分かると思いますが。そして、その間、ノンビリと憲法がいいということを言ってきただけではない。私は「平和憲法」という言葉は使いませんでした。若い学者諸君が「憲法は空洞化された」と言って批判する場合も、確かにこれは現実問題としてあると思ったが、空洞化されたとしても憲法が文字として言葉としてあるということと、全くなくなるということは根本的に違うことだと考えてきました。言葉として憲法(9条)がある、でも現実には自衛隊というものがある、その矛盾というもののなかで生きているということを考えて書くこともしてきました。意識的に憲法について考えるようになったのが40年と考えても、その40年間で憲法が実際に言葉として書きかえられる可能性が一番いま大きいと思います。かつては憲法改正という言葉が言われるけれども、実際には言葉が書きかえられること、
 改定されることは現実にはないだろうと私は楽観的に信じていたいと思います。拡大解釈されながらも現実的にはこれまで改定されることはなかった。しかし今は改定されようとしている。そういう意味で現在私にとっては、一番大切に考えていたひとつの柱が倒されようとしている時と考えて、何かしようとしてこの会に参加しています。

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